1984年3月、父からスタートして約30年のレッカー。 物心ついた時には、レッカーに乗っていた。 18歳になり、免許を取得。 最初に運転したのはレッカー車だった。 父から、人として大事なことを教わったのは、 今から思えばレッカーを通じてだった。
父と2人で、苦しみながらも(事故した時も、夜中でも、お正月でも) レッカーサービスをしてきたのは、車社会が日本を支え、 車社会がスムーズになれば、 人間社会がスムーズになると信じてきたから。 そのためにも、もっとよいレッカー車にこだわり、 「安全」「スピード」が向上できるレッカーを 自社で造るようになった。 大げさかもしれませんがレッカーが、人生を教えてくれた。 レッカーが人間社会をスムーズにしてくれた。 だから、これからも日本の社会が スムーズになるように挑戦し続けます。 そして、今までの日本に恩返しするために、 これからのアジアに我々が学んだことを伝えていく。 アジアの新興国にスムーズな社会を送ってもらうために、 僕らはレッカーで社会を支え続けます。